実家の犬

思いつきで行う不定期企画の記録

読書禁止週間 2日目

読書(ネットニュースとYouTube含む)禁止習慣2日目。

昨夜はいつもの入眠儀式ができず難儀したと書いたが、嫁いわく娘より先に眠りについていたとのこと。もしかして、良かれとおもってやっていた入眠前の読書やYouTubeが逆に入眠をさまたげていたのか?

 

いつもネットニュースやYouTubeをみることにどれくらいの時間をつかっていたんだろうか。

ストレングスファインダーでは内省上位なので四六時中なにかを考えているが、いまはあいた時間にそのおもいついたことや考えたことをメモするくらいしかやることがない。

 

内省はたのしい。

頭のなかで取りとめのないことを考えるだけだから、だれかに批判されることもないし、道具もいらない。

運転中やサウナ中など、手がふさがっていたり手ぶらでいてもできる。

それに無料だ。

 

インプットをやめてみてふとおもったんだけれど、それははたして「考えている」と呼べる状態なんだろうか。

 

寝ているとき、脳は自動で記憶を整理しているから、寝るまえにいま抱えている問題についてインプットしておくと、朝目が覚めたときに解決策をおもいつく。という話をなにかでみたことがある。

むしろ寝ているときでなくても、ぼーっとしているだけで脳が勝手に考えてくれるからぼーっとする時間が大事なんだという話も聞いたりする。

 

そうかといって、嫁に「新幹線の切符を予約して」といわれてしばらくどうやって予約しようか、EX予約では2人分のICカード予約できるんだろうか、直接駅に切符を買いにいったほうが早いし楽なんじゃないか、でもEX予約なら時間の変更もできるしな、などということをしばらく頭のなかだけでモンモンと考えているうちに、気づけば「予約した?」と2回言われ、3回言われ、しびれを切らした嫁からトドメに「あんたは何回同じことを言われれば動いてくれるの!」と怒られてしまうのである。

 

デフォルトモードネットワークというものが本当に機能しているのかわからないが、考えるという行為にアウトプットをともなわせてみるというのが、今思いついた新しい「考える」やり方だ。

 

それでいうと、内省しているだけの状態は、「考えている」ではなく「思っている」くらいになるだろうか。

書くのでもいい、おしゃべりでもいい、落書きでもいいし、コーチングでもいい。

考えることをアウトプット→自分で再インプットする。ということをちょっとやってみたい。