読書禁止週間 6日目
昨夜はホテルに泊まったので、娘に叩き起こされずにすんだ。
パソコンの充電器も携帯の充電器も忘れてしまい、フロントで借りた充電器はなぜか壊れている。なんとか一晩充電が持ってくれたのでホッと一安心。ありがとう新しいアイフォーン。車で来ているので、充電は車内でできる。
ホテル近くのスタバに行ってブログを書くことに。
学生の頃に何かで読んだ「頭を使う作業は朝やると効率がいい」というのを今でも信じている。
だからこのブログも、当日ではなく次の日もしくはそれ以降の朝に書いている。
だが朝が自分にとって何かを書いたりする時間として適しているかはわからない。
意外と注意が散漫になってしまうからだ。
そうなるとせっかくの朝の時間を無駄にした気がしてしまう。
意外と手紙やメールも、夕方に書くと気が散らずに書けていい。適度に疲れているから気が散ることもないが、疲れているから考えがまとまらない時もある。
意識したことはないが、私は1日をいくつかのブロックに分けて、それぞれのブロックに「やること」を入れ込んでいるようだ。区切りは7時、10時、12時、14時、16時、18時、21時、23時あたりにあって、それぞれの区切りにはそれぞれ適切な行動ジャンルがラベル付けしてある。
7時〜10時 書き物、読書
10時〜12時 考える作業、ミーティング、家事
12時〜14時 昼食
14時〜16時 書き物、ミーティング
16時〜18時 考える作業
18時〜21時 夕食
21時〜23時 テレビ、映画、読書
小学生の時、夏休み前になると必ず1日のスケジュールを立てるという宿題が出ていた。
1日を細かく区分けして、「起きる」とか「自由時間」とか「寝る」とかの作業で埋めていく。という作業を夏休み前にやっていた。
この通りに過ごせたら自分の夏休みはどんなに充実するだろうとワクワクしながら。
実際は予定通りに行く日なんてほとんどなかったし、いざやってみると決めた通りに生活するなんて囚人みたいじゃないかと思っていたけれど。
だから、例えば10時〜12時に家のテレビで映画を見ることにすごく抵抗がある。
その時間にやるべきことではないからだ。
だから12時前や14時以降に昼食を食べることにも違和感を感じる。
私の嫁はこれとは全く違う考え方をしている。
彼女は1日を、やることで順に埋めていく。特に決まった区分けもなさそうだ。だから夕方、1日のうちで2番目に集中力が高まると言われている時間帯に急に映画を見始める。
私に言わせれば信じられないくらいもったいない時間の使い方だ。
夕方から映画を見始めたり、21時を過ぎてから晩御飯を食べたりしている。
羨ましいほどの自由。
私は人生の充実度を上げようとするあまり、自分の声に耳を傾けず、本や雑誌で言われているような、脳の機能を最大限効率よく使わなければいけないという唯物論的ライフハックに囚われすぎているのかもしれない。
明日は読書禁止週間最終日。
まとめを書く予定でいるが、困ったことに今のところ読書をやめてもまったく困っていない。ネットニュースもYouTubeもなくても全然困っていない。企画を思いついた時は、もうちょっとこう不自由なことがあるかと思っていたのだけれど。