きのうからの仕事のストレスで胸騒ぎが続いている。
気持ちが落ちつかなかったので、きのうは帰りにバーへ行った。
最初の1杯としてマティーニを頼み、2杯目はメニューに書いてあるもののうち、まだ飲んだことのないものを注文する。最近のマイルール。
最初の1杯目でマティーニをたのむのは、東理夫氏に影響をうけている。
いつか夕方4時頃からバーで最初の1杯目、マティーニをのみながら日経新聞の夕刊をめくってみたいと思っているが、今のところバーで日経新聞をよむ勇気もなく、そもそも夕方からバーに行けるような環境にいない。
2杯目で飲んだことがないものをたのむのは、カクテルを知るため。
これまでカクテルをほとんど知らずにいきてきたのに、今年に入ってカクテル熱が急に高まってきた。
飲んだことがあったのは、マティーニ、モヒート、キューバリバー、ネグローニくらいだった。
以前はワインばかり飲んでいた。
安くておいしいワインを探すのが趣味だったので、三千円くらいまで、たとえば高くてもケンダルジャクソンのレッドヴァラエタルまでくらいの予算で楽しんでいた。
最近はそれが難しくなった。
これまでは、三千円までの低価格帯、三千円から一万円までの中価格帯、一万円以上の高価格帯、それ以上は青天井というクラス分けができていて、それぞれの価格帯によって品質もわかれていた。
五千円のワインだったらだいたいどれもおいしくて、たまにハイクオリティーのワインに当たる。くらいの感覚だった。
しかし今では、知識なしでおいしいワインを買うには1万円以上払わなければいけない。かつての三千円クラスのクオリティが五千円払ってやっと味わえる。
安うまワインハンターにとっては本当に厳しい時代になった。
ポイント制やコンクールでワインの優劣をつけることになんの意味があるんだろうかと考えるときがある。
もちろん資金が豊富で投資がじゅうぶんにできる作り手にとってはいいかもしれない。
まだ無名の作り手が世界のマーケットに名前を売る絶好の機会でもある。
だが、たとえば村上龍の『限りなく透明に近いブルー』と村上春樹『風の歌を聴け』にエラい文学評論家たちが点数をつけ、どっちが時代の風雪に耐えうるか評価することに、なんの意味があるんだろうか。
ワインがやっているのはそういうことだ。
しかしその結果ワインの個性がなくなり、みんな同じ作家の同じ文体のワインばかりになってしまうのであれば、とてもさみしい。
そんなふうに、ワインを自由に選び、楽しめるようになりたい。