Find style in fashion

自己理解と自己発見のための服飾について

マレーシア1日目

昨夜は22時半ごろにホテルにチェックインしたので、実質今日が1日目。

 

毎日現地の新聞を読むこととブログを書くことだけは日課としているため、とりあえず新聞を買いに駅構内のコンビニへ。

「newsなんちゃら」っていう名前のコンビニだったら新聞くらいあるよなとおもっていってみたが、ない。

セブンイレブンにもない。

きっと「newsなんちゃら」っていうお店は昔は新聞や雑誌をおいていたんだけど、しだいにコンビニみたいに食べ物や飲み物、お菓子もおくようになって、みんなが新聞を買わなくなっちゃったからおかなくなっちゃったのかなと予想。

マレーシアでも新聞持って歩いてるひとなんていないもんね。

 

とはいえ海外で紙の新聞をよむと海外にきたなって実感するタイプの人間としては、毎日紙の新聞を手に入れられる場所をみつけておきたい。

 

ホテルのコンシェルジュにきいてみると、え?売ってない?ちゃんと探したのか?と問いつめつつ手元にあった新聞をくれた。ありがとう。

 

明日の朝リベンジしてみようと心に決める。

朝食

朝食を食べた後、今回予備知識なしでマレーシアにきてしまったことを反省し、ひとまずお勉強しようと国立博物館へ。

 

建物は地下鉄駅からあるいてすぐ。

とはいえそこにたどりつくまでにけっこう迷った。

マレーシアはかなり歩行者がないがしろにされているのか、歩道がどこもせまい。とくに幹線道路沿いの歩道はひとがすれ違えないくらいせまい。にもかかわらず車やバイクが猛スピードで疾走しているので、歩いているとびびる。

 

博物館内は4つのゾーンにわかれており、それぞれ先史時代から海外交易を始めるくらいまでのAゾーン、マラッカ王国時代のBゾーン、植民地時代のCゾーン、近現代のDゾーン。

 

この博物館において、やはりハイライトというか、キーメッセージは「ムルデカ」日本語で「独立」なのではないかとおもう。

それによってことなる民族や人種間での連帯をふかめようとしているのかというとどうなんだろう。

ただ、マレーシアにはそのムルデカまでの歴史をふまえて日本とことなる視点がある。

それはたとえば新聞にもAer US cities doing enough in a warming worled?といったエッセイがのっていたり、日本ほどアメリカと近くないぶんその立ち位置の違いからうまれる視点は面白い。

 

どこか、中国、欧米に対する警戒感はいまだに消えていないように感じる。

 

かといって有名なショッピングセンターは有名ラグジュアリーブランドに占有されているし、日本にいるとなんともおもわないが海外にくると、ラグジュアリーブランドなんかは各国外貨獲得の重要な出先機関なのかもしれないとも感じる。

 

特にマレーシアのムルデカは、国だけでなく国民に対して個人単位でのさまざまな支配にたいする独立精神を持つことをもとめているようにもかんじる。

 

以前ケアンズであったアボリジニの女性は、ビーチは私たちの土地なのだとかたっていた。

誰かに認めてもらわなければ自分たちの土地だといえない状態というのは、本当に自由といえるのだろうか。とその時はかんがえていたけれど。

クアラルンプールにきてペトロナスタワーの写真撮らねーやついる?いねーよなぁ!

 

マレーシア到着日

今日はマレーシアへ移動


朝7時前に家を出て、空港に9時すぎについた。

何かしらちょっと遅れる日のようで、特急電車も遅れチェックインカウンターも時間がかかり、マレーシアでのイミグレーションもしばらく待たされた。が、なんの問題もなく通過できてよかった。

 

タイの空港で食べたトムヤムクンスープセットはおいしかった。

なぜオムレツがついているのかは分からない。

トムヤムクンセット

クアラルンプール空港に近づくにつれ、10日間も何しようかという不安な気持ちがおおきくなってきた。

こちとら何も計画していないのだ。

いろいろ人に聞きながら、とにかく気持ちの向くままにいろいろやってみようと思う。

 

10日間毎日ブログを書くというスモールステップ(自分にとっては結構なチャレンジ)を達成してみたい。

咄嗟の英語が出てこないね。10日間でどう変化するか楽しみだ。

明日はもうちょっとマシなことを書く。

 

はじめてのコム・デ・ギャルソン

コムデギャルソンでTシャツを買いました。

 

最近はTシャツと言わずにカットソーというらしいですね。

カットソーの一種のことをTシャツというらしいので、スパゲッティはパスタの一種みたいな話でしょうか。

「おしゃれ」かそうでないかはファッションに関する語彙を多く持っているかどうかで決まるとよくいわれますが、自分に語彙力がないのが残念なところです。

 

家の近くにあるコムデギャルソンの路面店へ行ったのもはじめてで、店に入るとすぐに、店員さんに「はじめてご来店ですか」と声をかけられました。

バスキアの絵が全面に描かれたシャツもよかったですが、予算オーバー。

ポリエステルの黒いシャツは、何となくコムデギャルソンを感じられなかったのでやめておきました。

「わかる人が見ればわかるもの」を最初に買う勇気がなかったので。

 

買えるもののうちで一番コムデギャルソンに見えるものをということで、最終的にジッパーポケットが3つある黒のカットソーを買いました。

 

2010年に公開されたビルカニンガム&ニューヨークというドキュメンタリー映画の中で、ビルは川久保玲についてこう言及しています。

1980年代ニューヨークでホームレスが増えた時、誰もがその話題を避けていた。しかし、日本人デザイナーの川久保玲は、当時インタビューに答えて言った。最高の着こなしの女性はNYのホームレスだと。

皮肉にせよ冗談にせよ、真のアーティストの本音だったにせよ、渦中の自分達には考えもしない視点だった。と。

 

ファッションがメッセージだとするならば、服の好みがかわることは自分の主張や価値観の変化を意味するのかもしれません。

 

新しい服がこれから自分をどう変化させていくか、今から楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワインを自由に楽しみたい

きのうからの仕事のストレスで胸騒ぎが続いている。

気持ちが落ちつかなかったので、きのうは帰りにバーへ行った。

 

最初の1杯としてマティーニを頼み、2杯目はメニューに書いてあるもののうち、まだ飲んだことのないものを注文する。最近のマイルール。

 

最初の1杯目でマティーニをたのむのは、東理夫氏に影響をうけている。

いつか夕方4時頃からバーで最初の1杯目、マティーニをのみながら日経新聞の夕刊をめくってみたいと思っているが、今のところバーで日経新聞をよむ勇気もなく、そもそも夕方からバーに行けるような環境にいない。

 

2杯目で飲んだことがないものをたのむのは、カクテルを知るため。

これまでカクテルをほとんど知らずにいきてきたのに、今年に入ってカクテル熱が急に高まってきた。

飲んだことがあったのは、マティーニ、モヒート、キューバリバー、ネグローニくらいだった。

 

以前はワインばかり飲んでいた。

 

安くておいしいワインを探すのが趣味だったので、三千円くらいまで、たとえば高くてもケンダルジャクソンのレッドヴァラエタルまでくらいの予算で楽しんでいた。

 

最近はそれが難しくなった。

これまでは、三千円までの低価格帯、三千円から一万円までの中価格帯、一万円以上の高価格帯、それ以上は青天井というクラス分けができていて、それぞれの価格帯によって品質もわかれていた。

五千円のワインだったらだいたいどれもおいしくて、たまにハイクオリティーのワインに当たる。くらいの感覚だった。

しかし今では、知識なしでおいしいワインを買うには1万円以上払わなければいけない。かつての三千円クラスのクオリティが五千円払ってやっと味わえる。

 

安うまワインハンターにとっては本当に厳しい時代になった。

 

ポイント制やコンクールでワインの優劣をつけることになんの意味があるんだろうかと考えるときがある。

もちろん資金が豊富で投資がじゅうぶんにできる作り手にとってはいいかもしれない。

まだ無名の作り手が世界のマーケットに名前を売る絶好の機会でもある。

だが、たとえば村上龍の『限りなく透明に近いブルー』と村上春樹風の歌を聴け』にエラい文学評論家たちが点数をつけ、どっちが時代の風雪に耐えうるか評価することに、なんの意味があるんだろうか。

ワインがやっているのはそういうことだ。

しかしその結果ワインの個性がなくなり、みんな同じ作家の同じ文体のワインばかりになってしまうのであれば、とてもさみしい。

 

今日は伊坂幸太郎、明日はガルシア・マルケス

そんなふうに、ワインを自由に選び、楽しめるようになりたい。

 

 

 

 

春のブレンドコーヒーの話

気の重い朝というのがあります。年に100日くらい。

ちょうど今日のような日です。

トラブルや問題が目の前にお行儀よく並んでいるような朝。

幸運の女神に見放されたようで、ヘビーなストレスで胃が気持ち悪くてもう今日は一日何も食べなくていいやといってしまいたくなるような朝。

 

そんな憂鬱な気分でも仕事はしなくちゃいけないし、トラブルの行列は目をふさいでも逃げだしてもちゃんと僕を待っていてくれるわけです。うんざり。

 

そんなことを考えながら朝一で某コーヒーショップで買ってきたブレンドコーヒーを淹れて飲んだら、少し気分が華やぎました。

 

酸味は穏やか。最初はスミレのような小さな花の香りがしっかりと感じられます。

そしてそのすぐ後、時間差でまだ若い苦みがふわっと広がる。

飲んだ後には軽い苦さと花びら一枚分の酸味を残して風味があっという間に消えてしまいます。

 

甘さは感じませんでしたが、その風味の上品さの中にあまさが隠されているような気がします。

 

「すみれ色のロングドレスの端をひらりとはためかせ、振り返ることなく颯爽と歩き去っていく女性」をイメージさせる作品。

 

チャンスの神様は前髪しかないからいそいで捕まえろとよくいわれますが、幸運の女神はその姿を一瞬ちらりとおがむだけでも、気の重い朝にひとすじの光をもたらしてくれるのかもしれません。

ブルターニュ展にいってきたよ

以前から、思っていた。画家はよく移動すると。

 

ピカソもミロだけでなく画家はその多くが、都会へ田舎へ国外へと移動する。そして気に入った場所を見つけるとそこに数ヶ月から数年暮らしながら絵を描いている。

そして戻ってきてもまた出かけていってその地で一生を終えることもあるほどだ。

 

なぜなのか。

移動すること(移動しないこと)と創造することには何か関係があるんだろうか。

そんなことを考えながら、西洋美術館で開催中のブルターニュ展に行ってきた。

ブルターニュとはどこか。

フランスの地理はワインを学んだときに部分的に覚えた。だからワインを消費するだけの場所であるパリの場所はあやふやだが、アルザスボルドー、ラングドックなどといった場所はイメージできる。

そのため、ワインの主要生産地でないブルターニュの場所がよく分からず、似た名前のブルゴーニュと頭の中で混ざってしょうがない。

 

調べてみると、ブルターニュ地方はフランス北西部の地域で大西洋に面しており、その南部にあるナント市にはロワール河が流れ込んでいる。

そのため未確認ながら、ブルターニュではローヌ河流域で作られるソーヴィニョン・ブラン主体のワインが多く消費されているのではないだろうか。

ブルゴーニュはもう少し寒冷な小高い土地なので、主要な白ワインのブドウ品種はシャルドネ。赤ワインはピノ・ノワール。消費される白ワインのほとんどはシャルドネだろう。

こう考えると、それぞれ名前は似ているがかなり気候が異なる地域だということがイメージできる。

ソーヴィニョン・ブランは晩春から夏の初めにかけて飲みたいワイン。個人的には草原でピクニックしながらサラダと一緒に味わいたい。きゅうりの塩もみや焼きピーマンと合わせたら最高。

一方シャルドネはキンキンに冷やしたものを晩秋から冬に飲みたい。超個人的な好みだけど泉鏡花の文章のようにキレのあるドライなシャルドネが好きなので、夏に飲むとナントなく味がゆるんでしまうような気がする。

 

ブルターニュはそんな気候が穏やかで過ごしやすい場所だから、多くの画家が訪れたのだろう。たぶん。

 

そんなことを考えながら展示室へ向かった。

 

オーディオ解説は必ず借りる派なので、今回も借りた。が、聞き始めるとすぐバッテリーが切れてしまったので取り替えてもらった。珍しい。

 

気をとり直して人の波にさからわず、ゆっくりと一つ一つ絵を見ていく。

フランス革命後だからみんなこんな風景を求めていたのかな」と後ろから話し声が聞こえてくる。

 

途中に掲示された解説も全部じっくり読む派なので、展覧会を回るペースはいつも遅い。

岡本太郎は展覧会に行くとものすごいスピードで会場を歩き回っていたそうだ。そして気に入ったものだけを食い入るようにいつまでも見つめていた。

何かの本に書いてあったので、同じやり方で自分も回れたら面白いかもしれないといつも思う。けれど休日の、それも東京の美術館では大勢が列をなして順番に一つ一つ真面目に見て歩くので、自由に動くことはむずかしい。

 

解説の中でも興味深かったのは、「ブルターニュのイメージが大量に生産消費されていくなかでむしろその多様性が取捨されていった」というフレーズ。

 

かつてブルターニュはフランスとは独立した国家として存在していた。だからフランスの人々にとってブルターニュは異郷の地であった。

彼らはフランス人とは違う文化、風習、宗教、言語を持っている。

そういった「自分(フランス)」に対しての「他者(ブルターニュ)」が存在する場所としてブルターニュは「発見」された。

次第にその土地を訪れる人が多くなるにつれ、ブルターニュで描かれた絵、描かれた書物、旅行した人の話、そういったものが記号として次第に多くの人に「消費」されていく。そしてそれによってブルターニュの持っていたフランスとの違い、差異はわかりやすいものだけが残され、人工的に加工された「特徴」として多様性の象徴になってしまった。

 

「文字による生きたブルターニュ」に惹かれて人々が訪れる以前、人は何かあるかどうかも分からない「今ここにないもの」を求めていた。

いくつもの並べられた絵を見ていると、「探求」し続ける芸術家たちとその後を追う「消費者」という構図が見えてくる。

そしてさらにそこには同時に、隠されてもいない、「探究される」側の人々の警戒や不安、恐れといったものも、描きこまれている。

 

絵を見ていると、画家は常に迷いの中にいるような気がしてならない。昨日の自分に否定され、明日の自分を否定しながら生きているような。

そうやって迷いながら絵を描き続けるのが画家の中には、実はすでに「発見される以前」のブルターニュ的なものがあったのではないか。

画家たちがブルターニュを「発見」したのではなく、ブルターニュが画家たちを発見した。

だから画家たちはブルターニュを見つけることができた。

そんなことを考えながら展覧会を後にした。

 

今こんなふうに自由に居場所を変えながら、自分が「発見」されることを探している人はいるのだろうか。

ふらりと立ち寄った地が気に入って、2ヶ月ほど滞在する。

家に帰ってきても心は彼の地に置いてきたままのように感じる。

そんな経験に、無性に憧れている。